2009年06月11日

報道記者も「上から目線」?

ピアニストの辻井伸行氏が、米国のバン・クライバーン財団のピアノコンクールで優勝した。 日本人ピアニストとしても初めて快挙だ。 同じ日本に生を受けた国民のひとりとして、また、学生時代から音楽活動をしていた者として、心からお祝いを申し上げます。

オメデトウゴザイマス\(^o^)/

 
ただ、今回の「ピアノコンクールで優勝」報道で辻井氏のCDに人気が集まり、が店頭から一気に消え、ネットショップでも発注数のトップにランクインしていると聞く。 辻井氏が注目をあび、彼が音楽で身を立てていけるのなら喜ばしいことだ。 ただ・・・、映画「おくりびと」や短編アニメ「つみきのいえ」がアカデミー賞を受賞した途端、国民的話題になったから上映映画や発売DVDに多くの国民が飛びついたように一過性にならなければ良いなと願うばかりである。


ところで、今回の受賞報道で、辻井氏が全盲という障害を持つピアニストであるということは既に全国民的に知られることとなったわけだが、私自身は、過去のニュースショーの特集などで取り上げられていたのでそのことは知っていた。 しかし、私の中学・高校時代の演奏(楽器はナイショ・苦笑)の師匠も身体に障害をもっている方だったので、ニュースショーを観た当時も「視力障害があるピアノ弾き」として取り上げられたことに、『障害があることにスポットを当てて、浪花節的報道してそれがなんなの?』とTV局番組作りには不快に思ったものだ・・・。


そんな中、読売新聞の電子版『人一倍努力「乗り越えられない障害ない」』の報道。 この記事を読むと、記者の障害者を見る目が健常者からの「上から目線」に見て取れ、とても嫌な感じがした。 まるで麻生総理の同類?(苦笑)。

記事中の「才能に恵まれ、苦労とは無縁だった」とは、ある意味、辻井氏への冒涜ではないか? 確かに、辻井氏ご本人が「今までつらいと思ったことはなく、楽しくピアノを弾いてきた」という会見で発言はあった。 とはいえ、恐らくは健常者には想像もできない、視覚障害があるからこその苦労や懸命な努力があったのではないか? そういうことをきちんと取材をせず、「音への鋭敏な感覚、抜群の記憶力とテクニック・・・」という、あたかも元からの才能に恵まれた結果だとこの記事は言っているように聞こえる。

また、これは読売新聞の記者が質問したのではないのだろうが・・・。 「一日だけ目が見えるとしたら何を見たい?」という質問も如何なものだろう? なぜ「一日だけ」なのか? 質問者の品性が疑われる。 この質問者の心の奥底に、「目が見えない」ことに対する一種の「差別意識」が隠れているように思えてならない・・・。


心身に障害を持つ方に対する目。 「心の壁」=「乗り越えられない障害」を持つのは、むしろ健常者の方なのではないだろうか?

かくいう私も、その「心の壁」が全く無いとは言い切れない・・・(汗)。 心の奥にはやっぱり少なからず「心の壁」があるだろう。 「乗り越える必要のある障害」だ。 私自身も、その壁を少しでも崩して低くし、また、できるだけ取り去りたいと思うが、この障害は乗り越えるのはなかなか困難だ。 しかし、そう心がけていきたいと思う。 今回の読売新聞は、ある意味「反面教師」な記事だった・・・。 
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2009年05月06日

日本脱出…する?

日本脱出といえば・・・小松左京の「日本沈没」というSF小説がありますねえ。 原作は読んでないですが、映画は2006年版より1974年版の方が好きです。

いや、のっけから話が逸れましたが、今日、6日、某公共放送局が「“35歳”を救え」と題したドキュメンタリー・教養(自称)番組を放映していた。

『今後20年に渡って社会の中核を担う35歳1万人にアンケートを行い、「20年後の日本」をシミュレーションしたところ、中間層の崩壊が急加速することが明らかになった。これからの日本を支える今の30代が安定した収入を得られず、家庭や子供を持てないと、税収や消費が落ち込む一方で福祉コストが嵩む超コスト負担社会になり、日本は衰退を免れない。』だそうだ。 (ーー;)

途中まで観ていたが、「何を今更」という感じ・・・。 第一、国民から受信料を強制的(法に定められているから)に徴収するため財政基盤が安定的で、そういう意味では競争相手のいない「安定的な収入のある」この企業が本気で取組んでいるとは思えない。

例えば、5月1日の時事通信社の電子版「厚生年金積立金、31年度に枯渇」でも報じられているが、この公共放送局はメインのニュース報道で取り扱っただろうか? もちろん、この厚生労働省の「物価上昇率などの経済指標が過去10年の平均値で推移した場合、22年後の2031年度には厚生年金の積立金が枯渇する」という試算は、民主党の要求を受け作成したものであり、日本政府の公式見解ではない。 だから報道しないのか?・・・この公共放送局は。 

当ブログの「偽装立国「ニッポン」(その3)」でも、日本政府による将来の年金給付について記事にしましたが、この時、この放送局は政府発表をそのままニュースとして垂れ流しただけだったように記憶している。 ニュースの中でも「福祉コストが嵩む超コスト負担社会」になる可能性は全く触れていなかったと記憶している・・・。


そもそも、政府の試算の「現役収入比で50.1%支給」は、年金の納付率が80%を前提した計算だという。 年金の納付率をどのくらいに見込むかは、年金支給額の試算において重要な要素だが、2008年度(09年1月まで)の納付率が61.1%しかないのだ。 この点を野党から攻められた舛添厚労大臣は、「今後納付率がどうなるかは、神のみぞ知るだ」(要旨)と発言。 あきれちゃうくらい無責任な答弁を行った。


「あの(笑)」産経新聞ですら、電子版「エンジン全開の舛添厚労相、大丈夫?」との記事の中で『厚労省内からは「大臣は自分に都合の悪い話になると表に出てこない」(中堅職員)との声も聞こえている。』と報じられる有様だ。 まあ、これは新型インフルエンザ騒動の一幕ではあるが、舛添厚労相は一事が万事この調子ではあるまいか。 国民向けには受けの良いことばかり記者会見で言っているが、厚労行政はもう泥沼・・・、いや、泥縄状態と言えそうだ。


閑話休題

実際のところ、国民の生命を守るため、その一翼を担う防衛省は予算拡大の一途なのに、もう一方の翼である厚労省はガタガタといってもよいのでなかろうか?

偽装派遣の問題など不備だらけの「派遣業法」と、不況に対する雇用対策が追いつかない労働行政。

やるやる詐欺と揶揄され、最後のひとりまで回復できそうにない「消えた年金問題」。 労働基準法違反にあたる勤務医の頑張りだけでギリギリ完全崩壊を踏みとどまっている「医療問題」。 ”自立支援”との美名の下、自立困難な重度の障害がある方からも一律1割負担を求める「障害者自立支援法」。 その他、人材難と経営困難で悲鳴の上がる「介護保険」などなど・・・。 自分の子供のためには、死んじゃうリスクより長生きした方のリスクの方が大きいのではないかと思えるほど、問題だらけの厚生行政・・・。  (ーー;)  


30代・40代で、もし資産があれば、とっくに日本から逃げ出しているでしょうね。 私ならそうしたい。 が、お金が無い・・・(苦笑)。

また、子供のために、アメリカやフランスで出産する日本人も今後はもっと増えるでしょう。 22歳までに「日本国籍」とするか「出生国の国籍」とするか、子供自身の幸福に対する選択肢が広がりますからねえ・・・。


少なくとも、議院内閣制であるはずなのに「官僚内閣制」と揶揄される日本の政治構造そのものが変わらなければ、将来の『日本は衰退を免れない』でしょう。

某公共放送局は、どんどん「官僚内閣制」の問題点を追求することこそ、受信料を払ってくれる国民『ミナサマの』ためなると思うんですが・・・できっこないんでしょうね(苦笑)。 

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2009年05月03日

ひとつの星、消える・・・

5月2日午前0時51分、忌野清志郎さんが2日午前0時51分、がん性リンパ管症により死去されました。

私自身は、ロックとかは普段ほとんど聞かないし、忌野清志郎さん(THE RC SUCCESSION含む)の歌も「パパの歌」ぐらいしか知らないのですが・・・。

でも、忌野さんが社会問題のテーマを扱った作詞の曲もあり、例えば、反核を訴えるLOVE ME TENDERのカバー曲を聞いた時は、すごく素直に「そうだよな〜」という気持ちになれた気がしました。


もちろん、私は、忌野清志郎さんのファンでも無いのですが、彼の唄は、今の日本人には本当はとても必要で大切なものなような気がします。


忌野清志郎(本名・栗原清志)さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


  LOVE ME TENDER
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2009年04月02日

エコと言えばエコだけれど・・・

昨年のガソリン・軽油高騰で、自動車やバイク(原付含む)から「自転車」に乗り換えた人も多いだろう。 まあ、二酸化炭素も排出しないし、エコにも一役かっているともいえるだろう。 しかし、自転車乗りの人口が増えた分、自転車による危険な運転も目立ってきた。 特に「歩行者」にとって極めて危険なのは、自転車がかなりのスピードを出して「歩道」を走っていることだ。

道交法では、自転車は車両(軽車両)であり、車道を走行しなければならない。 「自転車通行可」の標識のある歩道でも、歩行者優先であり、自転車は「徐行」しなければならない。 「徐行」とは『すぐに止まれる速度』で通行することだ。 自動車でも、急ブレーキですぐに止まれる速度とは時速8km以下だと言われているのに、制動能力の劣る自転車であれば「徐行」≒「歩行速度」だろう。 ところが、自転車通行可の歩道どころか、走行してはいけない一般の歩道ですら、人々の間を縫うようにしてかなりのスピードで走行している方が多い。 「道路交通法違反」ですよー、皆さん。

自転車に乗ってて人とぶつかり相手に怪我などさせれば、加害者として治療費の全額を支払わねばならないこともありえるのだ。 実際、私が中学生の時、同級生が自転車で小学生を撥ねて骨折させ、大騒ぎになったことがある。 ましてや、人とぶつかってそのまま逃げたら「ひき逃げ犯」ですよ。 逮捕されちゃうこともあるのだ。 

もっとも、いわゆるママチャリで一般道(車道)を走ってる私なぞは、ドライバーから見たら迷惑千万なのかもしれないが・・・(苦笑)。


そして、さらに傍若無人なのが「フル電動自転車」といわれている乗り物だ。 これは、ペダルを人がこぐ力を電動で補助する「パワーアシスト自転車」ではなく、電動モーターをアクセルでコントロールし、ペダルをこがずに走行できる乗り物だ。 道交法では「原動機付き自転車」にあたる。

産経新聞の電子版「自転車だとばかり…」によると、大阪府警が、先週からこのフル電動自転車を無免許や整備不良運転などで取り締まりを始めたという。 原付扱いだから免許も要るしヘルメット着用も必要だ。 しかし、このフル電動自転車は保安設備(ミラーやウインカーなど)すら付いてなく、見た目は自転車と変わらないのだ。 もちろん原付ナンバーの取得もできない。

確かに内燃機関(エンジン)が付いていないので、排気ガスも出ず、充電したバッテリーとモーターで走るフル電動自転車はある意味エコバイクといえるかもしれない。 ただし、原付バイク等と同じく保安設備を装着し、ナンバーを取得し、合法的に運転すればの話だ。

記事では触れられていないが、このフル電動自転車が「歩道」を疾走してるのだ。 特に大阪では多いと聞く。 しかも、例えば交番の手前ではわざわざ降りて、この自転車を押して歩き(合法)、交番を過ぎたらまた運転するような人までいるという。 車道でも歩道でも。 つまり、フル電動自転車を「偽装自転車」として使っているのだ。

エンジン音のしない原付が歩道を走行してるわけだから、歩行者の背後から走ってきた場合には極めて危険だ。


今や、歩道を歩くのにも命がけの世の中なのだ・・・。
特に大阪へ出張や遊びにいらっしゃる方は、歩道であっても充分お気を付けを。


ところで・・・続きを読む
posted by 少彦梛 at 20:43| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月01日

万愚節

今日、4月1日はApril Fools' Day(エイプリル・フールズ・ディ)ですね。 人をからかうような実害のない嘘ならついても良い日。 

しかし、今では政・官・財で毎日のように嘘、ごまかしが横行しているといっても過言ではないであろうこの日本・・・。 逆に、今日ぐらいは「嘘、偽りの無い一日」であって欲しいくらいです。 (^_^;) 

ちなみに、もともと日本では、4月1日は「日頃の不義理を詫びる日」だったそうです。 

posted by 少彦梛 at 20:44| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月30日

千葉での2つの投票

昨日、29日、千葉県知事選挙と銚子市市長のリコール(解職請求)の住民投票と、千葉県内で2つの投票があった。 知事選の投票率は45.56%、銚子の住民投票は56.32%と、田舎暮らしの私としてはあまり高い投票率とは思えないが、首都圏では高い方なのだろう。 しかも、高速道路のETC割引の拡大(休日の地方圏の高速道路料金の上限1000円など)の開始と重なったことを考慮すれば、まずまずなのかもしれない。

まず、知事選は森田氏が100万票を超える得票で当選したが、「大丈夫か千葉県民?」と少し心配になる・・・。 確かに森田氏の知名度は高いし、ましてや民主党の小沢代表の秘書が政治資金規正法違反で逮捕・起訴されたことで民主党推薦候補に強烈な逆風が吹いていたのは確かだろう。 しかし、森田氏に政治家としての力量があるか、また、本当に千葉県民のためになるかは甚だ疑問だ。 第一、森田氏は2000年の総選挙で、公設秘書が選挙違反で逮捕されて「連座制」適用あわやで失職しそうになった人物である。

しかも、読売新聞の電子版『「完全無所属」実は「自民支部長」』によると、森田氏(59)は現在も東京都の自民党支部長を務めているという。 ということは、「無所属」というのは嘘だろう。 しかも、04〜07年の4年間で1億6千万円を超える企業・団体献金を受け、同時期に計1億5千万円以上を森田氏が代表を務める資金管理団体「森田健作政経懇話会」に寄付していたという。 この資金については、「知事選に無所属での出馬を決意する前に自民党候補の応援などのために使った」と釈明しているというが、前回05年の千葉県知事選にも出馬しているのだから言い逃れにしか聞こえない。 なんだか胡散臭い話である。

そして、今回の知事選で「無所属」であること公表していたとすれば、公職選挙法の定める虚偽事項にあたるのではないか? もっとも、私は千葉県に住んでるわけではないので、選挙公報にはどのように記載したのか知る良しもないからなんとも言えないが、次点の吉田氏か他の誰かが森田氏を公職選挙法で告発したらどうなるのだろうか(笑)。

それはともかく、「宮崎のセールスマン」を自称し実行してる東国原氏や、「大阪府の財政再建」を旗印に行動している橋下氏といったタレント出身知事と比べると、「言語明瞭意味不明」発言を繰り返すだけで、何を軸足において県政を運営していくのかに明確さの欠けるとも思える森田氏に知事職を任せて本当に良かったのでしょうか・・・千葉県民の皆様。



ところでもう一つ、銚子市市長のリコールの住民投票については、時事通信社の電子版「銚子市長が失職」によると、銚子市立総合病院の存続を掲げて当選したものの公約を破り、市立病院の休止を決めた岡野市長解職に賛成する投票が有効投票の過半数に達してリコールが成立したという。 しかし、市民グループが市長解職を請求のために有権者の3分の1を超える約2万3000人分の署名を集めたにも係わらず、解職賛成票が2万1千票に届かない結果に終わったというのは、銚子市民の「市立病院存続」に対する本気度が疑われよう。

岡野市長は、市立病院の経営支援に40億円も投じたが、医師不足もあって経営改善の見通しが立たず、市財政逼迫を理由に、昨年9月末病院運営を休止した。 市民が、地域医療を支える公立病院が無くなることに反対する気持ちは分かるが、現在の医療崩壊の実情を考えれば、公設病院の維持存続は容易ではない。 実際、全国の公設病院の85%は赤字経営だとも聞く。

しかも、入院施設を持つ多くの病院では、本来時間外勤務や夜勤としなければならない医師の勤務を充分仮眠のとれる「宿直」扱いとし、労働基準法に違反してまで働かせている。 診療科によっては、48時間連続勤務という実態も報告されている。 当ブログの過去記事でも、勤務医、看護師の過酷な労働条件を紹介したこともある。

かなりの好条件(例えば相当な高給)でなければ医師が集まらないのが現状だろう。 ましてや、「市立病院なのだから市民に尽くすのが当然だ」などと暴言ともいえる発言があったり、また、そのような横柄な態度をとる患者が比較的多いとも言われる公立病院にはなかなか医師の来ては無いと聞く。 医師である前に彼らも「人」である。


銚子市民が、病院の存続のために、例えば市民税などの「増税も止む無し」と受け入れることが出来るなら市立病院再開も可能だろう。 特に、一旦病院を廃止し医師や看護師を解任した現在の状況では、一から病院を開設するのと同じくらいのお金と時間と労力が必要と思われる。 出直し市長選挙では、銚子市民がそこまでの覚悟ができるのかが問われるべきだ。

公立病院の再建は掛け声だけでは実現でない。 仮に次の市長が市立病院再開を公約するとしても、しっかりとした再建の構想と再建計画とがなければ岡野市長と同じ道を辿ることになるだろう。

しかも、市の連結決算の対象となる赤字公立病院を抱えた市は、最悪「財政再建団体」に陥りかねない。 その場合、医療以外の全ての市民サービスは制限されることになる。 夕張市と同じ状況になりかねないのだ。 行政まかせでは解決は困難だ。

住民の意思で公約違反の市長をリコールしたことは賞賛すべきことだが、まだ始まりに過ぎない。 繰り返しになるが、病院が再開できるかどうかは、結局は銚子市民自身の努力と協力と覚悟にかかっているのだと思う。



いずれにしても、森田氏を県知事にした県民も、岡野氏を市長解任した銚子市民も、真剣に考え抜いて投票したのではなく、その場のその時の雰囲気や流れで投票したのだとすると昨日の選択が将来の後悔を招くことだろう。

責任は、最終的には県民、市民自身が負うことになるのだから・・・。

posted by 少彦梛 at 21:24| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月23日

無茶させよるなぁ〜

いやー、WBC、私の予想がハズレて日本が米国に勝ちましたねえ。 実を言うと、先月下旬、日経平均株価は3月末には6500円くらいまで下がるのではないかと予想して、友人にもそう言いましたが、一時7000円を切りましたが今日8000円を超え、約2カ月ぶりに8200円台になった。 ここのところ、私の予想はハズレっぱなしだが、まぁ、悪い予想はハズレた方がいい(苦笑)。

しかし、夜のTVニュースを観ると、イチロー選手が8回に打った球は大きく曲がるカーブとかいうレベルではなく、渦を巻くように曲がりながら内角低めの足元に落ちるような球筋に見えたが、あんなのよく打てるよなあと関心しましたよ。 でも、素人目には普通の変化球に見えるボールはなかなか打てないんだね。 もちろん、私なぞはまぐれでも直球すら打てないだろうけど(笑)。


ところで、毎日新聞の電子版「松村邦洋さん倒れ一時意識不明」によると、身長164センチ、体重128キロの松村氏が、昨日の東京マラソンでスタートから約15キロ地点で倒れ一時意識不明になったという。 続報によれば、原因は急性心筋梗塞という。

松村氏は、TV番組の企画で参加したということだが、「TV局も無茶させよるなぁ〜」というのが最初の感想だ。 元相撲取りの「曙」に今回の東京マラソンに走らせる企画を立てたところもあったとも聞く。 曙の場合は直前に取りやめたそうだが、当然だろう。 失礼ながら、あの体型では・・・。


個人が「ファン・ラン」として東京マラソンに参加するならまだしも、TV局やタレントの所属事務所が企画を立ててフルマラソンに参加させるのなら、きちんとタレントの体調を管理し、また、練習をさせるべきだ。 そして、「体調の管理が出来てなければ参加させない」責任がTV局や事務所にはあるはずだろう。

他にも、タレントやアナウンサーなどを参加させ、「根性で走った」とか「意地で完走した」などと持ち上げる新聞なども無責任だ。 取り上げるなら、きちんと、日々の練習の様子や努力を取材して取り上げることが報道としてのあるべき姿だろうに・・・。


そもそも、出演者イジメだったり嘲笑うようなバラエティ系番組はあまりにもクダラナイと思うから観ないのだが、今のTV番組はツマラナイし、クダラナイ放送があまりにも多すぎやしないか? お笑い番組などを全て無くせとまでは言わないが、特に各TVキー局は、国民の公共の財産でもある「電波」の無駄遣いをいつまで続けるつもりなんだろうか?

ほとんどの在京キー局が、本業の放送よりも「副業」の通販や土地取引の方が稼ぎが多いと聞くが、真っ当な番組作りができないならさっさと放送免許を返上するのが国民のためのだろうに・・・。 返上した電波帯を防災無線などに割り当てれば、デジタル利権を生み出すだけのような「地デジ」に高い金を出さずに済むのだが。 
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posted by 少彦梛 at 22:41| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月03日

2つの裁判

西日本新聞の電子版「取り押さえ死 警官1人の審判決定」によると、佐賀市において2007年9月に知的障害者の男性が自転車で帰宅中、道路を蛇行運転したとして警官が彼を呼び止め保護した後この男性が亡くなるという事件について、遺族である父親が佐賀地方裁判所に求めていた「付審判請求」について、警察官5人のうち1人を『特別公務員暴行陵虐罪』で審判に付す決定をしたという。

この事件は、警察側は通常の保護で適正に行われたとし、保護と男性の死亡にも因果関係は無いとしてる。 ところが、警察官が何度も殴っていたという目撃者もいて、遺族が昨年1月に警察官を特別公務員暴行陵虐致死容疑で佐賀地検(検察)に告訴したが、地検は同3月に「適正な保護行為だった」とし警察官5人を不起訴処分とした。 また、警察側も暴行については否定している。

この事件については、警官側の言い分が事実と異なるのではないかと、幾度か報道されていたと記憶している。

他にも、高知県で2006年にスクールバスと県警の白バイが衝突し警察官が死亡した事故で、運転手は業務上過失致死罪に問われ禁固1年4月となったが、バスのスリップ痕が警察側に捏造されたものではないかとの検証報道もあった。 バスに乗っていた生徒の証言や警察側の発表を元に行った再現実験とタイヤのスリップ痕があきらかに異なるという。 しかし、この告訴は、高知地検は不起訴としたものの高知検察審査会が不起訴不当を議決した。 ところが、高知地検は「再捜査したが、偽造されたと認められる証拠はない」とし再び不起訴としている。 どういった「捜査」をしたのか不明だけれど・・・。


私は、この「付審判請求」という制度があることを初めて知ったのだが、「起訴権を独占する検察の裁定をチェックする目的で制度化されている」という。 今回は、審判される警察官が被告となり、検察の代わりに裁判所が指定した弁護士が原告となるのだが、恐らく弁護士に捜査権はないのだろうから「真実」を明らかにするのは通常の刑事訴訟より難しいと思われる。

公務員の職権濫用など、権力を行使する側の行きすぎをチェックする審判であるから、事件を目撃した方は進んで証言台に立ち、観たままを証言して欲しいと思う。



ところで、今日はもう一つ、裁判について・・・。

時事通信社の電子版「マンナンライフを提訴」によると、昨年、兵庫県で1歳児がマンナンライフ社の「蒟蒻(こんにゃく)畑」という『味付き こんにゃく』を咽喉に詰まらせ死亡した事故で、同社に損害賠償を求める訴訟を起こしたという。 同社の「蒟蒻畑」は大きさがのどをふさぐ程度で、硬さや弾力性がのみ込みにくいものとなっており、容器の形状を考えると設計上の欠陥があると主張しているらしい。

お亡くなりになったお子さんには、ご冥福をお祈り致します。

しかし、そもそも「こんにゃく」を1歳児に食べさせること自体が間違いなのではないだろうか? しかも冷凍していたものを半解凍した状態だったらしい。 お子さんを亡くしたご両親には同情はするが、製品そのものに問題があるのではなく、食べさせた人物に責任があるのだと思うのだが・・・。

「蒟蒻畑」などのようなポーションタイプの味つき蒟蒻は「こんにゃくゼリー」等と呼ぶ報道が多いが、ゼラチンで作った「ゼリー」ではない。 あくまで「蒟蒻」であることを消費者は知っておかなければならない。 逆に「こんにゃくゼリー」等と呼ぶ報道が『ミスリード』なのである。

また、一部団体などでは、韓国やオーストラリア(だったかな?)など諸外国は「蒟蒻畑」のような食品を販売禁止していることを引き合いに出して、販売中止を求める動きもみられる。 しかし、それはあくまで食文化の違いである。 そもそも、蒟蒻を食べるという食文化を持つのは日本くらいのものだ。 日本の食文化を、咽喉に詰まる恐れがあるといって全て禁止するなら、餅なども全て禁止しろということだ。 野田消費者行政担当大臣などはマンナンライフ社に製品の販売を中止するよう求めた時の記者会見で、「餅は咽喉に詰まるものだという常識を多くの人が共有している」(要旨)と発言していたと記憶している。 

しかし、国民生活センターの「こんにゃく入りゼリーによる死亡事故一覧」によると、1995年以降22件の死亡事故が発生しているとしているが、餅やを咽喉に詰まらせ亡くなった人は年間100人単位だ。 厚労省によると、平成18年中に食品を原因とする窒息で救命救急センターなどに搬送された事例は、把握できた計803例の内、餅は168例という。 咽喉に詰まることはあまり知られていない「ご飯(米)」で亡くなる人も多いとも聞く。 昨年は小学生が給食のパンを咽喉に詰まらせ亡くなったケースも報道された。 つまり、食品はどんなものでも「咽喉に詰まる可能性があるということなのだ。

「蒟蒻畑」に罪はないだろう。

逆にいうと、野田大臣の、改善要請に名を借りたマンナンライフ社への製品の販売中止を求めた行為などは、明らかに行政の行き過ぎた権力行使ではないだろうか? 要請対象は同社のみだったとも聞く。
posted by 少彦梛 at 23:54| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

偽装立国「ニッポン」(その2)

今日、20日の日テレ系の「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中」という番組で、松居ナニガシという女性が、『全家庭、電気代を毎月2000円分節約することを義務付けます』ということを法律化するべきと力説していた。 この番組は、番組内で討論し、賛成が過半数となったら本当に国会へ陳情するという。

番組での松居氏の提案は、何でも、家庭の電気使用量を削減することでCO2(二酸化炭素)を減らし、「エコ(地球温暖化防止)」に貢献しようということらしい。 その意気込みは良しとしよう・・・。 だが、そんなことを法令化したところで果たしてCO2削減にどのくらいの貢献になるのか? しかも、全家庭が電気代を毎月2000円分の節約をして達成できるCO2削減量は、番組の最後まで示されることはなかった。 

実際のところ、当ブログの「ああ・・・、オバマ氏の思い込み?(09/01/22)」の記事のとおり日本のCO2削減は全く進んでいないのである。 日本は、批准しているはずの「京都議定書」の条約(既に発効もしている)すら遵守できそうにない状況なのだ。 松居氏の主張(提案、法案)はとしては理解できるが、今更法令化しても意味はない(啓発活動としては意味はあると思いますが・・・)。

併せて、当該番組ではこれ見よがしに「エコ家電」と言われるものを紹介していたが、仮に日本国内全世帯に番組で紹介されたような省エネ家電商品を導入しても、とてもじゃないがCO2削減目標には届かないだろう。 なにせ、過去記事の繰り返しになるが、環境省の報道発表「2007年度(平成19年度)の温室効果ガス排出量(速報値)について」のとおり、2007(H19)年度の温暖化ガスの排出量は、京都議定書で基準年とされた1990年より8.7%も増加している。 京都議定書に定められた1990年より排出量を6%削減するには、今現在から14.7%もの削減が必要なのだ。

家庭から排出されるCO2は日本全体の25%以上であるから、松居氏が主張する「ケチケチ作戦」法案で削減できるCO2は、単純計算ではあるが多めに見積もっても、日本のCO2排出量3%に満たないだろう(たぶん)。 第一、日本の原発の発電量は全体の25%を超えてるのだし・・・。

まあ、単なるバラエティー番組に対してここまで熱くなる必要もないのだが・・・(苦笑)。


そもそも、「エコ家電」と称するものは、さもCO2を削減したように錯覚させる「エコ偽装商品」と言って過言ではないだろう(確かに、極僅かのCO2削減効果はあるけども)。 何故そう断言できるのか。 毎年毎年、「これまでより幾らお得です」や「幾らCO2が削減できます」と宣伝し、それが売り文句の『省エネ商品』がこれでもかというほど世に出てるのに、一般家庭から出るCO2排出量は逆に増えてるのだから・・・。

日本全体のCO2排出量に占める家庭からの排出の割合は、いっこうに減少していないのである。 日本全体のCO2排出量の総量が増えてるのだから、結果として、家庭から出るCO2の絶対量が増えてるのは自明の理だろう。


日本が「本気」でCO2排出量を減らすつもりなら、その手段・・・、確実に削減できる方法は1つだけある。 それは、日本が輸入する石炭・原油・液化天然ガスの化石燃料総量規制することだ。 1990年の輸入量以下に年間の輸入総量を規制すれば、黙っていてもCO2排出量は減る。 日本国内では原油・LNGなどCO2を大量に発生させる化石燃料は殆ど産出されない。 燃やすものがなければCO2は出ないのだ(笑)。 もちろん、食糧などの輸入にかかる輸送燃料や自動車などの輸出にかかる輸送燃料も量的規制の対象に含めよう。 ついでに、輸入品を製造するために他国が排出したCO2相当分も規制対象に加えよう(モデル計算でも良いから)。 しかし、病院などの医療機関や緊急車両(消防、救急など)、人命に直結する機関には優先的にCO2排出権を割り当てなければならないのは言うまでもない。


これを「極端な物言い」とお思いの方もいるだろう。 しかし、「エコごっこ(=偽装エコ)」をしてるだけではCO2排出量を減らせない(現に増えている)現状を鑑みると、このくらいの事を実行しないと日本はCO2削減目標なんて達成はできっこないのだ。 国民が真剣に「地球温暖化ガスの削減」を考えるなら・・・反対者はおるまい(笑)。
posted by 少彦梛 at 22:03| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月19日

偽装立国「ニッポン」(その1)

中川昭一氏が、ローマで行われたG7財務相・中央銀行総裁会議の後に行われた記者会見の振る舞いがもとで辞任に追い込まれた。 これまでの中川氏の行状と実際放映された映像を見る限り「正犯(主犯):アルコール」、「幇助犯(従犯)若しくは無罪:薬剤」と思えるが、政府側はあくまで「薬剤の誤用(飲み過ぎ)」で押し切るらしい。 共同通信の電子版「中川氏自らワイン注文」との記事があるにも係わらず、財務省国際局長の玉木氏は「会見直前まで大臣(中川氏)は正常だった」と衆議院の委員会で答弁してる。 しかも、体調が悪いにもかかわらず、会見後、中川氏はバチカン市内を2時間かけて観光したという(呆)。 どうみても「偽装答弁」ではないのか?

このブログのサブタイトルにあるように、「酒と薬とマタタビ人生」の私には今回の件で「中川氏が酔っていた」それ自体についての非難をすることは差し控えますが・・・。 (^_^;


しかし、いったい何時から日本は「偽装立国」になったのだろうか? 奇しくも(?)、今日、愛媛県伊予市のウナギ加工会社「サンライズフーズ」が行ったウナギの産地偽装で『加工会社社長ら5人逮捕(読売)』された。

少なくとも、私自身がこの国に「偽装」が蔓延(はびこ)ってると感じたのは学業を終えて社会に出てからだ。 とはいえ、現在と比べればカワイイ嘘であり、「嘘も方便」「ある程度の嘘は社会の必要悪」とも私が思っていたのも事実だ。 小さな嘘、隠し事無しには世の中廻っていかない。 実際、普通に暮らしていても、正直に真実だけをあからさまに示されたら、心に傷を負わない人などいないだろうし、また、心の安寧もないだろう。

ところが、ここ10年くらいをみると、ただただ「必要悪」とは言っていられない偽装が蔓延ってるのが実情だ。 


話が逸れるように思われるかもしれないが・・・、

昨日、18日に判決が出た「江東区の女性殺害事件」に下された星島被告への判決。 読売新聞の電子版『でも残虐極まりないとまでは…』の記事の判決要旨と、星島被告への「無期懲役」の判決を素直に受け入れられる国民は幾人いるだろう。 各マスコミも「何故死刑ではないのか」という論調と解説だ。 今回の星島被告への裁判では、検察側は傍聴席に座る人々にまで観える「モニター」を使い被告の残忍性を見せ付けた(読売)。 画像を観て気分が悪くなり席を立った傍聴人までいたという。

多くの国民は、今回の星島被告への判決が死刑ではなかったことに疑問、もしくは、憤りを感じていると思う。 しかし、それは、本当に国民が、あなた自身がこの事件と刑法を見比べ熟慮した結果だろうか? もちろん、人ひとり殺害した事は重大な罪である。 しかし、多くの人は、亡くなった被害者がバラバラにされて「トイレに流された」事に、被告の残忍性を観てとり、「彼は死刑に値する」と思っているのではないだろうか。

しかも、その「残酷だ」という意識は、『マスコミ報道』等の誘導が元で自らの中で増殖してしまった思いではないか? 警察の発表をそのまま鵜呑みにしているのではないか? どうだろう。 警察の初動捜査のミスで、被害者の遺体は一部しか見つかっていない。 死体損壊の模様については、その大部分が星島被告の証言によるもので、物的証拠による裏づけは完全では無いと聞く。


「死体損壊」・・・。 刑法190条に『死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する』とあるとおり。 例えば「器物破損」の最も重い刑三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料)と量刑は変わらないのである。 つまり、人間の死体は器物、「物」なのだ。 法的には・・・。

ちなみに、私は猫を飼ってるから敢えて書くのだが、犬猫を故意に殺しても適用される刑法は「器物破損」なのである(動物愛護法では更に量刑が軽い)。 小さな命を奪ったにも係わらず、罰金や科料で済んでしまうこともあるのである。 人も小動物も、命の重さは同じであるはずなのに・・・。

話が逸れたが、今回の殺人の罪に、「最大でも懲役3年の量刑」の罪である死体損壊を併せたからといって、「死刑」にはできないというのが裁判所(一審)の判断である。 「被告人の量刑を決める」ための裁判としは、被害者に対する「過度な感情」を排除し、至極真っ当な量刑判決だろう。 日本は法治国家なのだから・・・。
(ただし、死体損壊の罪の量刑の重さが軽すぎるとは思う。)

被告人が被害者が一人の場合、これまでの判例では、殺人の前科があるか、強盗殺人などの金銭目的でない限り死刑判決とはならないと聞く。 ただ、裁判官が言う、星島被告に「矯正の可能性がいまだ残されている」とは私にはなかなか思い難いですが・・・。
断っておくが、私は死刑廃止論者ではない。


被害者の母の『「娘の恐怖と痛みを」と死刑望む(共同)』という親としての感情は理解できる。 私がこの裁判の裁判員であれば、たぶん、星島被告への刑には「死刑をもってあたるべき」と主張するだろう。 しかし、それは本当に「公正」な判断だろうか? マスコミに煽られて感情に流されてはいないか? 検察の「画像を使った激情型煽動」に踊らされてはいまいか? 自分が裁判員となったら、常に自問すべきだろう。

閑話休題

「裁判所は真実を求める所」と言う人がいる。 また、被害者側の家族親族は「裁判で真実を明らかにして欲しい」と望む。 確かに、裁判による「飽くなき真実の探求」は本来重要なことだ。 しかし、実際の裁判とは、真実はそっちのけで、原告(検察)と被告とが「責任の重さの割合(量刑)を争う」場なのだ。

原告側は、被告の責任はこんなに大きいと強調しその重さを主張する。 また、被告側は、少しでも責任を逃れよう、または、責任は無いと主張する。 両者の主張がぶつかり合う場である。 そして、お互いに相手の主張を崩そうと争い合う。 このような裁判で、真実が明らかになることは皆無に近い。 無いといってもいいくらいだろう。

まあ、極端ではあるが、裁判は「原告、被告のどちらの『偽装』がより真実らしく聞こえるか」を争ってる、と言っても過言ではあるまい。

posted by 少彦梛 at 23:59| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月11日

英雄の陰に隠れて・・・

共同通信社の電子版『NY市が機長らに名誉の「鍵」』によると、USエアウェイズ社の旅客機がダブル・バードストライクでハドソン川に不時着水した事故から間もなく1カ月を迎えるが、米国では依然として「真の英雄、サレンバーガー機長」といった報道が続いているという。 そして、先日ニューヨーク市長のブルームバーグ氏が、機長ら乗務員5人に「市に貢献した人らに与える『市の鍵』を贈った」そうだ。 もちろん、人々の居住地に墜落すれば乗客乗員だけでは済まず、大惨事になったことに違いはないのだから、事故機のクルーは称えられて当然ではある。 

そして、ロイターの電子版、『米不時着機の機長が初会見、事故の様子を語る』には「サレンバーガー機長が記者会見で当時の差し迫った様子を振り返った」という記事もあるが、共同通信社の記事にあるとおり「5人の乗務員だけでなく、救助に当たったニューヨークの人々や乗客の協力があって緊急着水が成功し(て全員が助かっ)た」と言うサレンバーガー氏の発言こそ、今回の事故における正しい評価だと思う。 逆に、機長にフットライトやスポットライトを浴びせるに留まり、バードストライク事故防止などに顔をそむけ、更なる対策検討などに触れない為政者やマスコミ各社は、何か、また、どこかおかしいのではないか? 
注:()内、筆者追記


例えば、2月9日発行の日刊ゲンダイによれば、サレンバーガー機長に「英雄」というライトが当たっている陰で、事故にあった乗客がUSエアウェイズ社の対応に大ブーイングだという。

USエアウェイズ社が事故機の乗客約150人にお詫びとして送ったのは『1年間限定の「VIPメンバーシップ」』のみ。 記事によると、その特典は
@ 国内線の「ファーストクラスを利用する」場合は同行者の無料チケットを用意する
A 「ヨーロッパ便とハワイ便を利用する」場合は1クラスのアップグレードOK
・・・たったこれだけというのだ。 どちらも、USエアウェイズの航空券を「買わないと貰えない」特典というわけだ。 @などは、無料分のチケットは「エコノミー」だろう。 同行者はファーストクラスには乗れないと思う。 つまり、言い換えれば『1年間だけアップグレードするから、USエアウェイズを使ってくれ』と言っているようなものだ。 しかし、事故に遭った150名の内、これから1年間に@、Aを利用する機会のある乗客は極数名だろう。

もちろん、ダブル・バードストライクの事故に遭ったのはUSエアウェイズ社の責任では無いだろう。 しかし、今の米国の経済不況下にも係わらず、機長が英雄扱いされたおかげで、事故を起こしたはずのUSエアウェイズ社の株価が上昇するという現象が「乗客の怒り」の火に油を注いでいるという。

「事故を会社のPRに利用している」「死んでいたかもしれないのに、乗客にはこれだけか」と不満が爆発しており、『こうなったら訴訟だ!』と息巻く人までいるという。(在米ジャーナリスト・佐々木香奈氏)



他国の事なので航空機事故が発生した場合における一般的な事情(保証問題等)や国民感情などはよく分からないけれど、「英雄」の陰で、罪を問われずに済み胸を撫で下ろしてる真の「責任者」が幾人も居る気がしてならない・・・。 そう思うのは、私自身の意地の悪さか、単に私が捻くれ者だからなのかもしれないが・・・(苦笑)。


ただ、同じような事故がもう起こらないとは限らない。 今度は、NYの市街地に墜落して大惨事という事態も起こり得るのだ。 その事を真剣に論じ、考え、対策を採ろうという声は聞こえてこない。

日本の航空業界も同じバードストライク問題を抱えているはずなのだが・・・。
国内でも国会などで議論されたり、また、マスコミなどから更なる対策の要否を取材したという話は、とんと聞かない。 
posted by 少彦梛 at 00:40| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月26日

ハドソン川の英雄

共同通信社の電子版、「訓練通りの仕事した」によると、USエアウェイズの旅客機がダブル・バードストライクで左右2つのエンジンが停止したと思われる事故で、ニューヨークのハドソン川に不時着し、乗客乗員155人全員の命を救った「ハドソン川の英雄」といわれるチェスリー・サレンバーガー機長が自宅のある地元ダンビル市から表彰され、家族とともに式典に出席し、市民ら約3000人から称賛を受けたという。

確かに、彼の判断と操縦は賞賛されて然るべきだし、私も素直に「素晴らしいパイロット」だと思う。 地元に自宅があるというだけで、住民も表彰してあげたくなる・・・いや、住民が、一目彼を見てみたい、または、彼と同じ地に住んでいることを光栄に思うのは一般的な感情だろう。

しかし、当のサレンバーガー氏は英雄扱いされるのを憚ってか、遠慮してか・・・、集まった市民らに感謝を表明するとともに、「乗員全員が訓練された通りに対応したに過ぎない」と謙虚にコメントしたという。

事実、乗員乗客全員が助かったのはサレンバーガー氏の見事な不時着水の腕だけではなく、当日の気温が−6℃とされる中、現場を目撃したフェリー会社の従業員達などがただちに救出の船を出し、脱出開始4分後には現場に到着、救助活動をした賜物であろう。 恐らく、ハドソン川に救助に駆けつけたフェリーや観光船の企業・従業員にはニューヨーク市から表彰や感謝状を贈られているものと思うが・・・。


サレンバーガー氏は、全力で自分の責務を果たしただけである。 氏に限らず、旅客機の乗員・パイロットは、緊急事態においてはほぼ全員が、全力を駆使して自らに与えられた責務を全うするであろう。 御巣鷹山(正しくは、高天原山と聞く)に墜落し死者500人以上という大惨事となった「日本航空123便墜落事故」でも、クルーは最後まで機体の姿勢制御に全力を尽くしていた。 公開されたボイスレコーダーの音声を聞く限り・・・。

ちなみに、日本航空123便事故は奇跡的に生存者が4名いた。 しかし、墜落直後にはまだかなりの数の乗客が生存していたものの、捜索隊の到着する翌朝までの長い時間の間に次々息絶えたとの証言があると聞く。 今回のUSエアウェイズの旅客機不時着水も、救助が遅ければ、冷たい水の中で体温を奪われ亡くなったり、心臓発作などを起こして亡くなる人が出た可能性は否定できない。 155人全員の命が助かったのは、多くの人が懸命に救助の努力・行動をした結果である。 サレンバーガー氏の力があってこそだが、氏ひとりの力だけで155人の命が助かったわけではない。 サレンバーガー氏が一番にそのことを理解しているのだと思う。





そんな中、サレンバーガー氏ひとりを英雄扱いするのは何故なのか。

ダンビル市側はパレードまでやろうとしたそうだ。 もちろん、良識あるサレンバーガー氏は辞退したそうだが(苦笑)。 一部では、誰が言い出したのか分からないが、サレンバーガー氏の銅像を立てようという報道もあったと記憶している。

マスコミが氏を持ち上げ、市民が氏を英雄と思うのは、まあそれは良い。 ただ、ダンビル市がパレードまで行ってサレンバーガー氏を英雄に祭り上げようとするのは、実は単なる市長の売名行為でしかないだろう。 市長は今回の事故には何も関係ないのだ。 もうひとつは、今回の事故発生そのものの重大性から世間の目を逸らそうという思惑を持つ人達も居るものと思われる。 例えば、2年前の夏、那覇空港の駐機所で燃料漏れを起こし、炎上した中華航空機事故の時がそうだ。 当ブログの「中華航空機炎上事故に思う」にも記しましたが、事故が起きた機の機長を表彰した台湾政府などがこれにあたるだろう。 繰り返しになるが、中華航空機炎上事故で死者がでなかったことの最大の功労者は「那覇空港の現地整備員であった中華航空の社員」だと私は思っている。

つまり、誰かを、特に行政や為政者が「英雄」を作り上げる(祭り上げる)のは、為政者自らの売名行為だったり、悪政や失政から市民や国民の目を逸らす。 そういった目的が隠されている場合が多いのだ。

我々は、偉業を成した人には大いに賞賛を送るべきだが、その偉人を「英雄扱いする人」達に気を許してはいけない・・・。



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posted by 少彦梛 at 22:39| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月17日

お前が言うな!…と思うこと

某公共放送の21時代のニュースキャスター(男性)や「持論・公論」などで尤もらしく解説し政府を責める論説員・・・。 確かに、不況で非正社員の解雇などで窮地に立たされた労働者は増える一方だ。 そして、内部留保の金が潤沢なのに首切りする大手企業の非情さや、一向に効果的と思われる手立てを打てない政府にも確かに問題はあろう。 とは言え、

「自分だけ『安全』なところ」から、したり顔で哀れんだ発言をするのは止めんかね。

民放などは、確かに民放の正社員・幹部などが高給を食んでるのは腹立たしいが、実際製作しているのは下請け製作会社だし、CM企業やスポンサー企業がコストカットすればその分広告収入なども減り、下請け製作各社は「制作費削減」≒泣く泣く人切りして頑張っているんだから・・・。

某公共放送の「まるで他人事」のような物言いに、毎回憤りを覚えるのは私だけではないと思いますが・・・。

<追記>
12/17 15:10 文章を一部修正致しました。
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2008年12月10日

メチャクチャな提案だとは思うけど…

朝日新聞の電子版「雇用対策を政府決定」によると、昨日、「今後3年間で2兆円規模の事業費を投入し、雇用確保策や新規創出策によって140万人の雇用の下支えをめざす」雇用対策をまとめたそうな。 追加対策として、
(1)雇用維持対策
(2)再就職支援対策
(3)内定取り消し対策
が3本柱だと。 そして、派遣社員を正規社員として採用した企業に1人当たり100万円(大企業は半額)を支給する制度を盛り込んだ。

まあいい。 それで雇用が守れるならば、だ。

しかし、例えばこれまで「骨太の方針」で何度、そして、合計どのくらいの「雇用創出」を謳ったんでしょう? 2001年に初めて打ち出した「骨太の方針」とやらでは、5年間で540万人もの雇用創出を謳ったはずだ。 確か「イット(IT)革命by森元総理」とやらで(笑)。
注:経済財政諮問会議では「雇用機会の創出が期待される」としているだけだが、御用学者が喧伝。

 そもそも「骨太の方針」とやらで『本当に実現できた』施策・成果はいったいどのくらいあったのだろう? たぶん、答えられる一般国民は皆無だろう。 今回の雇用対策もその程度でしかあるまい・・・。

この際、借金まみれの現政府が2兆円もの税金(または更なる借金)を投じるのだから、それを決めた「現政府」と今の与党には国民にその『担保』を出してもらおう。 まず、全ての国務大臣には先日発表された「資産」を全て国庫に預ける。 議員歳費(給料)があるから、資産が没収されてもすぐに路頭に迷うことはあるまい。 今日現在の失業率を少なくとも1年間下回るまで返却しない。 3年後の失業率が昨日現在まで回復していなければ全て没収。 キャリア官僚には、各種手当てを含め、今日現在の失業率を少なくとも1年間下回るまで一律10%カット。 達成できれば、国民の総意(国会決議)でボーナスを払おう(ハタラキバチであるキャリア以外の公務員にまで10%カットを適用するのは酷である)。 自民・公明の与党も同様だ。 昨日現在与党に属している議員は、一旦「資産」を全て国庫に預け、3年間で140万人の雇用創出の達成率に合わせて資産を返還。 3年で達成できなければ、その時点で残りの資産は没収。 政党助成金も同様に、その年毎の雇用創出の達成率に合わせて減額。 30%しか達成できなければ70%没収というわけだ。

はっきり言って、メチャメチャな提案だ。 自分でもそう思わなくはない(苦笑)。

しかし、これまでの国民人民に対する(けして法人に対してではない)「裏切り」を考えれば、そのくらいの覚悟で望めない政府・与党なら、即刻衆議院を解散し、国民の信を問え!と言いたい。 また、麻生総理も「省益より国益」と大見栄を切ったのだから、従わないキャリア官僚は全て「分限免職」にしたら良いだろう。

これを公約し実行すれば、麻生政権の支持率は、小泉元首相が持つ最高支持率を遥かに超えるであろう(笑)。
posted by 少彦梛 at 00:49| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

橋下大阪府知事の発言から教育を考える

何故、今回このタイトルで記事を書こうと思ったかというと、10日程前、大阪府が「教育問題討論会」を開催した際のTVニュースで観た時、討論の中で橋下知事が声を荒げた時「今日もキレましたね」とのプラカードが客席から揚がり、思わず笑ってしまったからだ(苦笑)。 なのでいつか取り上げようと思っていたのだ。 まあ、傍から見てると橋下知事キレ易いという印象はある(笑)。 しかし、討論会で橋下知事が保護者に向けて意見を聞くための発言をしてるのに、教育者側(?)の野次の酷さには更にウンザリだ。 討論会の様子については、産経新聞の電子版「教育問題討論会で渦巻く怒号、やじ」などを参照してください。


ところで、日本人は「討論」がヘタだ。 恐らく「討論する」という訓練を受けてこなかったためと思われる。 その代わりにというか、「議論」ズキだ(苦笑)。 では、「討論」と「議論」の違いは何か? Web辞書をひくと、
【討論】 ある問題について、互いに意見を述べ合うこと。ディスカッション。
【議論】 それぞれの考えを述べて論じあうこと。また、その内容。
同じような感じだが、私の認識では、「討論する」のは互いに意見をぶつけ合い意見の溝を埋めるために行うものであり、「議論する」のは互いの考えを述べて何らかの結論を導こう、または自分の意見を納得させようとするものである。 もちろん、溝が埋まらないこともあれば結論がでないこともあるのですが・・・。

私としては、子供さんをお持ちの皆様方には、是非、いろいろな世の中の課題・話題を取り上げ、家族で話し合う機会を作ることをお勧めしたいと思います。 月1回でもいいんです。 お子さん達が物事をどのように捉え、考え、表現するか知る機会にもなりますし、わざと反対の意見を与えてみるなどのサジェスチョンを行えば、より物事を深く考える訓練にもなると思いますから。 ただし、議論で親の考えと同じに持って行こうととしたり、頭ごなしに否定してはいけませんよ。 私みたいにヒネクレ者になちゃいますから(爆)。

ちなみに、先日の大阪での教育問題討論会でも、討論を目的とするのではなく、ただ単に知事への「抗議」「批判」のために参加した人も多そうだ。 「中山前国交相の日教組批判に対する知事発言の撤回を求める」などの要求は、討論会に無為な時間を浪費させるだけだ。 抗議活動は別の機会に知事にすべきだろう。 真っ当な論議をしたい教育者、保護者、行政からすると迷惑なだけで、特に被害を受けたのは教育を受ける子供を抱える保護者だろう。 先の産経新聞の電子版でも、『発言中はヤジが多く、たまりかねた橋下知事は「まず人の話を聞きなさい。いい大人なんだから」「こういう先生に子供たちを任せておくことはできない。中山前国交相の発言こそ正しいじゃないですか」と持論を述べると、知事の発言を支持する他の参加者たちから大きな拍手がわいた。』とあり、それが証明していると思う。(私自身は中山前国交相の日教組発言は、一概に正しいとは思いませんが)


2つめに・・・、橋下知事の「国旗、国歌意識して」発言。

これも産経新聞の電子版「橋下知事が高校生に呼びかけ」によると、「僕ら(橋下氏)の世代は日の丸、君が代をまったく教えられていない。 僕らの世代は最悪の教育を受けてきた。 社会を意識するためには国旗や国歌を意識しなければならない。 教育として本質的な部分だ。(要旨)」と発言したとのこと。 うーん・・・、確かに今は「国旗国歌法」で、日章旗(日の丸)を国旗に、君が代を国歌にと定められてるが、「社会を意識するためには国旗や国歌を意識しなければならない。」というのは論理が飛躍してると思いますが・・・。 橋下知事が青少年の頃どのような教育を受けたかしりませんが。 「日の丸、君が代を教える」ていうのはどういう意味なんでしょう。 他方「日の丸、君が代は戦前の軍国主義に・・・」とか、これまた私には理解不能なことを論じる方もいますけど。 どちらも間違い、ではないですか? 私は橋下氏よりちょっと年上ですが、同じ校下であったなら少なくとも小学校は一緒の学び舎の下で勉強したことになりますが、「最悪の教育を受けた」とは思いませんけど。 ただ、入学・卒業、始業・終業の各式、運動会などの時は、日の丸掲揚、君が代斉唱はありましたよ。 小・中・高と公立学校でしたが。 小学校の時は小4くらいからは道徳の授業も週1ありましたっけ。 都道府県毎に方針が違うのでしょうがね。

国旗国歌なんぞを強調する前に、子供達に自分の住んでる街や市町村や都道府県がどんな処か、どんなに良い処なのか、特に人物や自然地理などを小学生くらいから教えて、自分の住む街、村に誇りを持てるようにすることを最初にすべき事ではないかと思う。 むろん、治していかねばならない悪い処もあること併せて教える必要もありますが・・・。 その土壌があってこそ初めて「社会を意識する心」が芽生えるのではないでしょうか。 そして、社会を意識する心が育った上で漸く国旗国歌の出番なのです。 『我が国の国旗国歌は日の丸、君が代です。我々はこれを尊重せねばなりません。 そして、同じように他の国の国旗国歌も尊重せねばなりません。』 それが順序というものではないでしょうか。 ただ、「社会を意識するために国旗や国歌を意識せよ」と訓示したところで、オリンピックやワールドカップなどで暴徒と化すときの道具にしか映りませんよ、若い彼らには(たぶん)。


3つめに、橋下知事が高校生と意見交換した時のことを。

これは確かフジテレビのニュース番組で観たと思うのですが、『女子高校生を泣かせた』と見出しにしたタブロイド紙もあったような・・・。 大阪府の私学助成予算を約28億円の削減(H19年度歳出約600億円)に対し、高校生のグループが私学助成予算削減を止めてもらうよう陳情に大阪府へやって来た。 これに、橋下知事は「子供達の戯言みたいにならないよう反論していくので、きょうは議論したい(要旨)」と初っ端から打った。 子供扱いしないのは良いこととも思うが、理由は「すでに義務教育を終えたので大人として扱う(主旨)」という。 つい、『じゃあ、16歳以上には府知事、府議の選挙権を認めてやれよ』と、心の中で毒づいてしまった(笑)。 都合のいい時には大人扱いかよ。 ところで、フジテレビのニュースではコメンテータ(?)が、「日本国憲法89条で、公金は公の支配に属さない教育に支出ししてはならない、ということをちゃんと話した方が良かった(要旨)」と言っていたのは、そのとおりだ。 税金を納め、子供もいない私などは、『私立学校振興助成法』は「憲法違反」だと裁判に提訴えてもいいくらいなのだ(←身勝手・苦笑)。 助成してもらえるだけ有り難いと思え・・・と言いたいところだが、ここは自重(苦笑)。

まあ、年端も行かない子供相手に議論を吹きかける橋下知事も大人気ないが、ある女生徒が泣いてる子に「勉強せなあかん。負けてたらあかんで。悔しいからな、勉強していろんなこと知らなきゃあかん」と言っていたのが、せめてもの救いであり、彼らにとって無駄な時間ではなかったと思いたい。

ちなみに、大阪府のHPによると、高校生に限れば、私学助成は、学校側への助成は一人あたり293,560円 → 265,612円(▲27,948円)、各世帯への授業料軽減助成費は据え置きだ。 来年度、再来年度も減額されると想定されるが、高校生ならそのくらいは夏休み中のバイトなどで工面しろよ・・・と思うのだが・・・。 逆に、学校法人側が私学助成費減を隠れ蓑にし、助成金減額以上の授業料増にならぬよう父兄は監視すべきだろう。

閑話休題

ところで、3つ目の本論は別のところにある。 今回の意見交換に出席した子供らが私学に進んだ理由が、
「公立に入ったとしても、勉強についていけるかどうかわからないと言われて」とか、
「『そこ(私立)にしか行けない』って言われたんです」とか・・・。 これは教師による生徒への『恫喝』ですよ。 オカシイと思いませんか? どこの高校を受験しようが学生側の自由のはず。 しかも、今もそうかは知りませんが、入試の点数だけではなく「中学教師の書く内申書」も合否を左右するんでしょ。 中学教師は合格率が悪ければ叩かれますから、学生を成績と内申書で脅し、中学校自体が学生から受験の自由を奪っているのではないでしょうか? であれば、知事が学生にいくら「自らの努力が足りない。自己責任」といっても画龍点睛を欠きます。 自由が極端に制限されているのに責任だけを説くのは筋違いでしょう。 また、公立高校の一斉入試にも問題がある。 競争だから負けることもあるのは仕方がないが、敗者復活の機会が与えられないのでは真の公平とは言えない。 現在の公立大学のように学校毎にABと入試日を分けなくとも、2次募集などの機会と枠を広げるべきではないだろうか。 自己責任を説くなら、府立高校間にも、学生の選択の自由と能力に応じた機会の確保を保証すべきだろう。

併せて、中学を卒業するに値しない学力しか有しない者は卒業させるべきではないのではいか。 中学までの義務教育は社会に出るための必要最小限の学力・知識を身に付けるためにあるのだろう。 少なくとも中1レベル(私個人の思いなので30年近く前の中1です・苦笑)の知識が付いて無い生徒は、卒業させるべきではないだろう。 評論家の三宅久之氏がある番組でおっしゃてましたが、「子供が知識を習得することは苦痛ではない。義務教育の段階では強制力を伴ってもちっともおかしくない。何年までには漢字はこれだけ覚えなさい。九九はともかく憶えなさい。頭が良いとか悪いとかでなくて、それをやってなかったら社会に出て困るでしょう。そういうことについては教えなければいけません。(要旨)」。 そのとおりだと思います。 あるレベルの知識を習得していない子供を社会に、または高校に出してはいけないと思います。 もちろん、憲法で定められた「教育を受けさせる義務」が親にはあるのだから、当然16歳以上の卒業できない子の保護者からは授業料を徴収は必要でしょう。 少なくとも成年(18歳とするか20歳とするかは議論が必要ですが)になるまでは。

蛇足だが、「教育問題討論会で渦巻く怒号、やじ」の記事に、ある教員団体関係者が「(全国学力テストの)結果公表でランク付けが進めば、子供たちへの悪影響は計り知れない。」と発言しているが、学生達の高校入試に向けて、高校毎にランク付けをし学生を振り分け、学生達の生涯に悪影響を及ぼしている君たちがそれを言うのは、矛盾以外のなにものでもないことを銘記すべきだ。


また、学生さん側にも一言。 学力の不足する子もいるでしょう。 中にはイジメによる不登校、病気などにより小中学校にあまり通えなかった子、皆さんそれぞれに事情はおありだと思います。 でも、同級生の皆と同じ歩調で人生を歩まなければいけない理由はありません。 さすがに、今は夜学の高校は少なく、社会環境的に夜学に通うのは難しいでしょう。 しかし、お金が無いなら無いなりに、病気などの理由なりに、学力向上(高卒、大卒の資格取得)をしたいならいくらでも手段があります。 働きながら通信学校で高校を卒業することも可能です。 中学浪人覚悟で公立を受けても良いではないですか? その苦労は必ず将来倍以上になって報われます。 目的もなく高校に行くより、1年遠回りしても行きたい学校に行けばいいじゃないですか。 それが嫌で、ただ然したる目的も無く皆と同じでありたいのなら、社会環境の変化で負担が重くなったといって不平不満を言うべきではありません。 「皆と同じ高校生でありたい」ということだけが目的なのだから。

私の友人にも中浪したヤツ、居ますよ。 高校に入れなくて、一浪して稼いで高校に入ったやつが。 その後、彼は希望大学に進学し、今は希望していた私立高校で教師をしてます。 今1年間遠回りしても、20代、30代になるころには全然関係ありません。 そして、バブル経済が破裂し、家庭の事情で学校を中退せざろう得なくなった連中も沢山見てきました。 中には死んだヤツもいます。 私学助成削減や橋下氏にちょっとやりこめらた位で、泣いたり絶望したりしてたら、この先の世の中渡っていけませんぜ。 自分の将来のレールは自分で敷いていかなきゃ、誰も他人のレールは敷いてくれないのだから。
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2008年09月19日

牛・ホルモン戦争

今日、一連の「事故米問題」で、後5日も任期がない農林水産大臣が引責辞任した。 時事通信社の電子版『農水相臨時代理に町村長官』によると、福田首相も自らの太田大臣の任命責任を認めたそうだ。 個人的感想だが、22日(月)の自民党総裁選を含め、政府として実質4連休後に内閣総辞職する福田首相とすれば「ヤケクソ」なんだろうか。 ただ、そのトバッチリを受ける国民としては、たまったものではないが・・・。

先日記したブログでも、そもそも農水省が「食品と考えていない」と思える輸入米購入行為そのものが問題の根本だと意見したが、実は似たような事象がもうひとつある。 米国産牛肉の輸入だ。 韓国では、現政権が倒れるかと思うほどのデモ・抗議活動が起こった、あの米国産牛だ。

実は日本ではほとんど知られてないが、今、米国とEUの間で米国産牛について「冷戦」が起きている。 韓国で騒乱になったBSE問題ではない。 ご存知のとおり、英国をはじめ、EU域内ではすでにBSE牛が発生しているのだから。 問題になっているのは、牛の生育過程で投与される成長「ホルモン剤」である。 実はこのホルモン剤、女性ホルモンと似た構造なようで、乳癌や子宮癌の多発、乳幼女児の異常成熟(乳腺の膨らみ、異常な早期初潮など)、また、アレルギーの原因など、人体への影響が世界中で報告されていると聞く。 そこで、EUでは、牛へのホルモン剤の使用を全面禁止したのだが、当然、ホルモン剤を投与した米国産牛も全面輸入禁止にしたのだ。 ちなみに、日本では '99年にメーカーが自主的にホルモン剤の承認を取り下げて以降、国内で投与が認められたホルモン剤はない。(逆に言えば投与も残留値の規制もない?)


EU域内での使用はダメなのに輸入品は使用OKだなんて「ダブル・スタンダード」は、EU諸国の国民の健康を考えればあり得ないのは誰でも理解できるだろう。 しかし、これに噛み付いたのは米国である。 自国の生産牛が売れないのだから当然である。 米国とEUの交渉は今も続いている。 ただ、昨今のEUの多くの諸国は自国の「農業」を保護する方向に大きくシフトしており、そう簡単に米国産牛のホルモン剤使用は認めないだろう・・・。

省みて、日本の場合はというと・・・。 EUで問題になっているホルモン剤の使用について、輸入牛には一切規制がない。 米国内の残留基準はあるかもしれないが、日本国内では使用されていないことが前提なので残留基準は無いのだろう。 米国でBSE牛が発生して、米国産牛は生後20ヶ月以内しか輸入させないと制限したため、米国の牛畜産農家は短期で肥えさせるために大量のホルモン剤を投与していると聞く。 国内基準がなければ、どれほどの量のホルモン剤が残留していても輸入に関してはスルーである。 そうであれば大問題ではないだろうか。

そもそも、日本でBSE感染牛が発生してから食用牛は全頭検査が義務付けられた。 ところが、米国の外圧により「生後20ヶ月以下」の条件で輸入を再開し、それに引きずられる形で今年8月から国から都道府県へのBSE全頭検査の補助金が打ち切られた。 これで、生後20ヶ月以内でのBSE発症の可能性に対する検証も事実上打ち切られた。 本当に安全か検証できぬままであり、また、生後20ヶ月以内の牛のBSE検査の技術研究の道も事実上絶たれた。 日本は、生後20ヶ月以内の場合「BSEと確認する方法がない」としてるだけで、BSEで無いとは言っていない。

確かにダブル・スタンダードは自由競争である市場経済にとって良いことではないのは認めるし、するべきではない。 ただ、日本に食品を売り込みたいなら、食に対する「ジャパニーズ・セィフティー・スタンダード」の元で自由競争をしていただきたい。 日本だって、工業製品であれ食品であれ、輸出相手国のスタンダードに沿って商品を輸出してるのだから・・・。 そして、日本政府は、消費者の安全に関わる件に関しては日本のスタンダードを譲ることなく、毅然として諸外国に対応して欲しいと思う。 EU諸国が国民の健康を守るために譲れない条件を死守しようとするように、日本にもその姿勢があれば、今回の農水省が輸入した事故米流通などの問題は起こりえなかったのでは無いか・・・。 私はそう思う。

食の安全に関しても他の件にしても、どこの国、国民のための日本国政府なのだろうか・・・。 良く考えていただきたい。
posted by 少彦梛 at 23:19| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

リーマン・ブラザーズの経営破綻

米国第4位の証券・投資銀行会社が倒産した。 「あぁ、やっぱりか」というのが個人的感想だ。 もっとも、「後だしジャンケン」な発言と言われても言い返せないけど(笑)。 米国第3位といわれるメリルリンチは「株式交換」という形でバンク・オブ・アメリカの傘下に入るという。 いくら米国財務省やFRBの仲介下で複数の金融機関と売却の交渉を行っても、リーマン・ブラザーズは買収する価値(費用対効果)がないと判断されたのだ。 公的資金の支援でもあれば違ったかもしれないが、「米国が推し進めている市場経済の理論の下」ではありえない。 それが小泉元首相も推進した「市場原理」だ。

多くの人は「あんな大手が信じられない」とか「米国政府が公的資金なりを入れて救済するだろうと思っていた」とか・・・報道のインタビューで答えていたが、それは甘すぎだ。 21時の某公共放送のニュースで、経団連の会長ともあろう者が「あんな大手が倒産するなんて信じられない」といった旨の発言をしてたが、その発言は笑止千万だろう。 某被告人ではないが「想定の範囲内」とぐらい言えないのか。(苦笑) 外需だのみの企業の代表取締役会長で、東証一部上場企業を中心とし財界の中心ともいえる経団連の会長がこの程度では、日本企業の将来も先が知れるというものだ。


ところで、今回のリーマン・ブラザーズの連邦倒産法適用について、日本政府首脳も能天気だ。 ロイターの電子版によれば、
官房長官は「国内金融面への影響は限定的」
経済財政担当大臣は「一気に外需落ち込み深くなると考えられない」
金融担当大臣は「日本の金融機関の経営に重大な影響与えず」
だそうだ。 あきれる話しである。 確かにリーマン・ブラザーズ1社が破綻したところでそれが直接影響する分は問題ないだろう。 ところが、今起きてる「事故米問題」と一緒で、直接リーマンと取引きしてなくとも、いろいろな金融会社を経由してる分を考慮すればそんな悠長なことを言っていられるはずは無い。

そして、彼らが口々に「欧州・米国の財務当局とは緊密に情報を交換している(から安心、問題ない)」と言うが、他国はまずは自国の国益を優先する。 言い換えれば、時によっては「日本はどうなってもかまわない」という行動に出る(もちろん日本に悟られないように)ことを理解してるのか甚だ疑問である。 それとも、もう頸元の涼しい現政府首脳陣には日本経済の先行きは「他人事」なのだろうか・・・。


現経済財政担当大臣が発言したとおり与党の大多数は「対外的要因が解決されれば、(日本経済は)おのずと戻ると確信している」のだろうから、米国経済頼みの日本経済は先行きは暗い。 しかし、経済政策について無為無策の現日本政府では、仮に短期的に米国経済は現状を維持しても、次の総選挙(衆院選)の投票日前までに日本の株価(日経平均)は1万円を割る・・・、当たらなければ良いけど、そんな気がしてならない。 
posted by 少彦梛 at 22:33| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月31日

明日、防災の日

今日は日曜日ということもあって市民が参加しやすいからか、明日の防災の日を前にして各地で「地震を想定した防災訓練」が行われたようですね。 TVニュースでは、東京都でも自衛隊、米軍も参加した防災訓練を行ったということが報じられていました。

ところで、読売新聞の電子版、『国民の心配強まる』によると、面接式の世論調査の結果75%を超える人が「自分の住んでる地域で大地震が起こる」不安を感じてるという。 判らなくもない。 調査時は岩手・宮城内陸地震が起こって2ヶ月足らずの時期だし、しかも当該地域は政府が発表してた「地震発生の確率」も今後300年以内に起こる確率は1%未満、つまり一般の人としては「地震なんて起こらない」と信じるレベルの地域だったのだから…。 その上で、90%に上る人が、一人ひとりが大地震への対策を取ることが被害を減らすことにつながると思うとのこと。 実際、その内半数以上の人がなんらかの対策講じているようですね。 また、東京都をはじめ各自治体も地震災害などへの対策を市民に呼びかけている。


ところで、今日行われた東京都の防災訓練も、それに先立ち26日に行われた国の基幹的広域防災拠点施設での防災訓練も、首都直下地震を想定した防災訓練だ。 訓練は、実際に行動として行うものも、机上の訓練も、どちらも大切だ。 SEの仕事をしてても、ネットワークやシステムが異常を起こすことを前提で運用の訓練を行ってることからも、異常時の訓練の重要性は良く分かる。

ところが、私には良く分からない点がある。 首都直下地震が起こった場合、彼らは地震発生直後を基点としてどの時点を想定した訓練なのかということだ。 今日の東京都での訓練も、デパートや地下鉄の駅から怪我人などを搬送する訓練や、また、帰宅困難者の運搬訓練が行われたと聞く。 それはそれで必要だし良いことだが、実際に首都直下地震が起こったら・・・消防も自衛隊も被災された皆さんの所へすぐ来てくれると思わない方がいい。


少し考えたら分かるだろうが・・・、現在の東京都消防庁の人員配置で直下型地震が起こったらどうなるか。 平時の救急車でさえ、救急の必要が無い様な呼び出しの多さに四苦八苦してるのだから・・・。 その上、人口密集地の東京で被災したら、建物および構築物、道路上の電光掲示板等の倒壊などによって幹線通路も含めて救助に向かう経路も寸断される。 震災直後は救援が来ないと思った方が良い。 国の想定では震災直後4万を越える人が自力脱出不能と想定されている。 この方達は震災直後24時間以降の生存確率は極端に下がり、72時間以降はほぼ絶望的ともいわれる。 皆さんは、果たして首都圏在中の消防・自衛隊を含め、4万人以上の被災者を3日以内で救えるとお思いか? 実際のところ、自力で脱出できて避難所にたどりつけても3日後に水・食料の支援が行き渡る保証はない。 避難所の生命維持の備蓄も3日程度だろう。 置き場がないから。 そもそも、首都圏に日本の人口の十分の1が集中している現状を考えると、残りの国民で彼らを支えきれるかを考えると極めて困難なことはご理解いただけるだろうか・・・。

つまり、極論を言えば、首都圏で直下型地震が発生したも3日間生存できなければそこでアウトだということであり、しかしながら、それを全く首都圏在住者にアナウンスされていないことが問題だと思うのだ。 居住者の半数が地震に備える必要を感じていても、どう備えるべきか、言い換えれば都や国がどの程度まで対応できるのかハッキリ示されてないことの方が問題なのではないだろうか。
・・・救えませんよと。

posted by 少彦梛 at 22:05| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

エコ? エゴ?

残暑お見舞い申し上げます。
昨日、立秋を迎えたものの、まだまだ暑い日が続きますね。 その上、近頃は局所的豪雨も・・・。


さて、立秋の昨日、産経新聞の電子版に「これってエコなの?」という記事が。 この記事では「打ち水でヒートアイランドに歯止めを」というイベントについて疑問を投げかけているのですが、7月22日に豊島区の巣鴨地蔵通りでの打ち水イベントで元環境大臣のオバサンが浴衣姿でにっこり笑っている画像付きでした。 モチロン、豊島区は氏の選挙区(東京10区)なので、来たるべく総選挙に向けた選挙活動の一環なのだろう(笑)。 


閑話休題

しかして、この記事でも疑問を呈しているように「打ち水」が本当に環境に良いのか? 確かに、水を撒くことによって一時的に気温は下がるだろう。 が、現在の東京のように、コンクリートとアスファルトに覆われた都市ではあまり意味が無いように思われる。 そもそも、打ち水は、江戸(江戸期)では行われていたようだ。 江戸の町は究極のエコ社会。 リサイクルが徹底されゴミは出ない、そして、リユースなどは当たり前の社会であった。 本当に無駄の無い都市であったと聞く。

そんな江戸の、特に町人の住宅事情はそのほどんどが長屋と呼ばれる借家であるが、その造りは「夏に涼をとる」ことが最優先に作られたと聞く(確か、故杉浦日向子氏だったと思うが)。 つまり、風通しが良いことが絶対条件なのだ。 時代劇などが好きな人は良くご存知と思いますが、長屋の造りは、表戸があり、すぐ横の炊事場に窓(?)がある。 そして決まって裏手にも障子戸(雨戸)がある。

話が跳ぶようだが、かつて小学生の高学年くらいで習った思うのだが、日中は地表が温められ上昇気流が発生することで海からの風が吹き、夜は海水温が下がらないために逆に山から風が吹く。 江戸城と寺院仏閣以外高い建物の無い時代だ。 各家の風通しはさぞ良かったに違いない。 ところが、この自然の風は朝方、夕方はあまり吹かない。 海水温と地表温とが均衡するからだ。

そこで、登場するのが打ち水だ。 表に水を撒くことで水が蒸発する気化熱で気温が下がる。 ところが家の裏手の気温は高いままであるから、家の表と裏で気温差が生じる。 この気温差で家の中を通る風が生じるのだ。 しかも、舗装なんかされていないから、土に含まれた水もジワジワと蒸発することにより持続性があろう。 「打ち水」はいわば当時の時勢に合った知恵なのだと思う。 (余談だが、長屋は冬には物凄く寒かったらしい・笑)

その知恵の根源を理解せず、単に水撒き行為だけを現代の東京に持って来てきてエコを気取るのは、単なる自己満足、人間のエゴそのものではないのだろうか。 打ち水イベントをしたところで、涼しくなった空気を室内に取り込むことも無く、またイベント終了後にエアコンの効いた喫茶店やデパートに行く姿などを見るにつけ、残念ながらそう思えてならない。


東京都は「環境確保条例」を改正し、一定規模以上の事業者(企業など)に温室効果ガス総排出量の削減を義務づけていると聞いているが、賃貸している高層ビル側の事業者に排出量の削減義務を負わせても、店子の事業者が規制対象ではないから相当の無理がある。 そもそも、現在の東京は、今や大都市そのものが抱える地球環境に対する構造的な欠陥を有しているのではないかと思っている。 まあ、そもそも人口の集中しすぎが根本的な問題だとも言えますが・・・。

打ち水くらいでヒートアイランドに歯止めがかかろうはずもなく、湾岸にタワービル(高層マンション)が立ち並び海風の力を弱め、都心、副都心などの高層ビル・タワービル群の排出する廃熱(エアコン等)、建物のコンクリート自体の蓄熱・・・これらを熱源とする高温化した空気が都内で上昇気流を発生させる。 本来なら、埼玉、群馬まで吹き抜け、山沿いで雨が降るはずの水蒸気を含んだ海風が、都内で発生した上昇気流と伴に積乱雲を発達させ、局所的な大雨を降らせる。 足立区、葛飾区、江戸川区、墨田区、江東区などにわたって存在する「海抜ゼロメートル地帯(0m以下もあるとか)」。 地下に縦横無尽と言って良いくらい張り巡らされた地下街、地下鉄。 局所的豪雨で対応を誤れば、真っ先に被害に遭う。


都市開発が進めば進むほど、結果として大都市固有の水害などの都市災害の発生に拍車を掛けているような気がする。 つまり、便利に、かつ、暮らしやすくなる程、陰に潜む災害は肥え太り、被災の可能性が高くなっていると言えまいか? これはもはや、天災による被災の大部分については都市開発による人災なのだ。 人間自身が持つエゴによる・・・。

真実は小説より奇なり(マーク・トウェイン)、なのかもしれない。
posted by 少彦梛 at 20:13| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月24日

地球温暖化はくい止められるか?

個人的な見解でしかないが、人間の手で地球温暖化をくい止めるのは無理ではないかと思う。 できるとしても相当困難なのではないか? それこそ「神の見えざる手」でも働かなければ・・・。


読売新聞の電子版「主要排出国会議、CO2半減で明確合意なし」によると、ソウルで行われていた「第4回主要排出国会議」において、今朝(23日)、北海道洞爺湖サミットの最終日にG8と他の排出国(中国、インドなど)の首脳による会合で発表する主要排出国の首脳宣言に向けた「原案」がまとまったとのことだ。 記事によると。2050年までに二酸化炭素などの温暖化ガスの排出量を半減との目標については、一定の前向きな理解が得られた模様だ。 ただし、原案の内容は公開されていないし、また、外務省の審議官が「採択されるかどうかは、各国首脳の判断」と記者会見に答えていることから、この後、この宣言がどうなるかは判らない。

少なくとも、各国の利害を排除して「焦眉の急」で対応しなければ、世界全体での温暖化ガス排出の抑制は不可能だ。


地球規模の温暖化ガス排出削減は、私の頭の許容量を超えるので、日本国内について・・・。 (それも許容量を超えているんだが(笑))

確か、福田ビジョンでは「2050年までに現状比60〜80%削減することが日本の長期目標」と言っていたと思う。 ところが聞くところによると、例えば閣議決定であっても、長期計画については省庁等行政サイドとしては実行に移す責務はないらしい・・・。 今のところ2050年に実現できなくとも、誰の責任でもないらしい。
毎日新聞の電子版、福田ビジョン:「「サミットで主導権」意識 排出量取引、EUに対抗心」での記事中において、G8サミットNGOフォーラムの鮎川ゆりか氏が「福田ビジョン」について次のようにと批判のコメントしている。
『基準年を動かしてごまかしたに過ぎない。途上国などはサミットで、日本が真剣だというメッセージは受け取らないだろう』

福田ビジョンのベースになっているのは、「独立行政法人国立環境研究所」が中心になってまとめた「低炭素社会に向けた12の方策」のようだ。 この報告書だが・・・、個人的感想であると事前にお断りしておくが、どうも胡散臭い・・・。

何故かというと、リリース(公表)された資料によると、
まず、「主要な内容」の項目で、
『2050年に日本のCO2排出量を1990年に比べて70%削減するために取るべき、12の方策を提案する。日本低炭素社会の実現に向けて、遅れることなくこれら施策が実行されることが望まれる。』(抜粋)
とされ、次の、「1.2050年低炭素社会の姿:CO2排出量70%削減は可能」の項で、
『2050年に要求されるサービス需要を十分満足しながらも、主要な温室効果ガスであるCO2を1990年に比べて70%削減する技術的なポテンシャルが存在することを明らかにした。』(抜粋)
という。 あくまで、ポテンシャル(潜在能力)についてである。 実行するにあたって、その政策などについては言及していない。 その上・・・。
『これまでの研究では、(中略)、日本の一人当たりGDPは2000年に比べてそれぞれ2.7倍/1.6倍に増加するが、人口は0.74倍/0.8倍に減少すると想定したため、GDPは2.0倍/1.3倍になる。一方でサービス産業へのシフト、モータリゼーションの飽和化、社会資本への新規投資の減少などの構造転換が進められるとみられることから、必要とされるエネルギーサービス量(活動量)は2000年の水準と(1990年の水準とは)それほど変わらないことがわかった。』(抜粋・カッコ内は筆者追記)
という。

まず、ここで待ってもらいたいことがある。
数値の計算が正しいかどうかは私の足りない頭では検証しようがないが、エネルギーサービス量、つまりCO2排出量が「1990年≒2000年」と考えることが本当に正しいことなのか?
私の歳になると鮮明に記憶にあるのだが、1990年というのは当時バブル経済の絶頂期だ。 その後、バブルが弾けて国内の景気は急速に減退する。 1990年後半にはリストラという合言葉の元に、製造業(特に中小企業)は工場を海外移転・シフトしている。 つまり、国内で排出していたCO2を海外へ輸出した(移し替えた)ということだ。 この報告書を読む限り、その事は考慮に入れられてないと思われる。

その後の報告書の内容は「排出量が1990年≒2000年」として論じられている。
結果、「2.12の方策による対策と部門別削減効果」では、
『「図4 低炭素社会に向けた12の方策によるCO2削減効果」では、図4に示される230MtCは、2000 年のCO2排出量に対して2050年 70%削減を実現するために必要な削減量である。』(抜粋)とし、まとめでは『2050年には70%削減が可能』(抜粋)としている。
(※注記:以上の抜粋も含め、内容については、皆さん個々人でご確認ください。)
これって、論議のすり替えではないのか・・・という疑念を私の中においては払拭できない。

同じように、福田ビジョンでは、『2020年までにEU並みの14%減が可能との見通し』としているが、削減の基準が2005年であり、基準年そのものが欧州の1990年とは異なる。 実質的には1990年比では10%にも満たないなど、これは明らかに「偽装表示」ではないか?


また、別の角度からこの福田ビジョンを見ると、更にCO2削減の実現性に不安を感じる。 福田ビジョンでは、この秋から「排出量取引」の国内統合市場を試行するという。
福田氏自身、記者会見中の質疑で「心配しているのはマネーゲーム。(排出量取引が)投機対象になってはならない。」と言っているが、海外での排出量取引はすでに始まっており、投機対象となりつつある。

まさに、それ(排出量取引)こそが地球温暖化をくい止める「足枷」になりかねない。 私が「人間の手で地球温暖化をくい止めるのは無理」と思う一番の所以である。

最近、「カーボンオフセット」付きの自動車も発売されているが、排出量取引はその「カーボンオフセット」の延長線上にある。 では、なぜその排出量取引が「足枷」になる可能性があるかというと、排出量取引により実際の物理的CO2排出量の削減量が目に見えなくなるからだ。 CO2の実際の排出量と実際の削減量が乖離し、実態としての排出量が把握できない。 参考になる例が2つある。

1つは、皆さんが今実感されている原油の高騰と同様の事態である。 原油の供給量と実需については、需要量が多少上回るとしてもそのバランスは大きくかけ離れている訳ではない。 先物取引という市場において、投機マネーが価格の半分近くを押し上げているのだ。 そのため、物理的な供給可能量と実際の需要量との差が把握できなくなっている。 原油の供給をCO2の削減、需要についてCO2の排出に置き換えて考えていただきたい。 つまり、現代の市場経済が需要と供給に基づかず、CO2の排出量取引が本来の需要量と供給量に結びつかない可能性が高いということだ。

もう1つは「サブプライム問題」。 債権を「証券化」したため、実際の負債額に関わりなく証券の売買が進み、取引が破綻したことから実際のローン負債額以上に国際的な損出を出した。 損失分は「証券」取引で儲けた連中が使ってしまったのだ。 同じことがCO2排出量取引で行われれば、いわば排出権を購入することになるのだが、排出権という「権利」を持つ者がCO2を出し続ける結果となり、なおかつ、CO2を削減(吸収、固着化など)する側が破綻すれば排出されたCO2量は地球温暖化の負債として残ってしまうことになる。 そうなれば、税金でもなんでも投入してなんとかなる金融の世界と違い、取り返し(CO2削減)の付かない状況に陥りかねない。

かつての「金本位制」のように『物理的にある「金(キン)」を元に』世界が紙幣制度を採ってた時代には「サブプライム問題」のようなことは起きなかったかもしれない。 しかし、現在ではどの国を見渡しても「金本位制」を採っている国はない。 ましてや、CO2は目に見えない、触ることもできない気体だ。 仮に「排出権」を取引するならば旧来の「金本位制」のように実態と物理的状況に即した仕組みが必要なのではいかと思う。 ただ、先にも述べたように「気体」である温暖化ガスを対象とした場合、その仕組み作りそのものが非常に困難だと思うのだ。


posted by 少彦梛 at 00:54| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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